トップ  >  東日本大震災・原発事故  >  避難者の気持ち

2013年04月12日 避難者の気持ち


DSC00048.jpg
                          <4月11日の花見山>


昨日花見山で、南相馬から避難して来られている30代の男性と
言葉を交わす機会がありました。

「大変でしたか?」とお尋ねすると、しばらく間をおいて「大変でした」と一言。
その一言に、この2年間のご苦労がにじみ出ているような答え方でした。
「原発の前は、毎年家族で来てましたが、家族は東京に避難しているので
今日は一人できました。」と話された時の、何とも寂しげな笑顔が
頭から離れません。


そんなことを思いだしながら、今朝の 福島民友新聞 を広げてみると
避難者の気持ちがヒシヒシと伝わってくる二人の読者からの投書に出会いました。

少し長くなりますが、ご紹介したいと思います。


  80歳の女性から

   わが登る八十路の坂は道険し、放射能あり、どこを通り、どこへ行くか。

   故郷には30年以上戻れないとの報道を見聞きすると、私はどうすれば・・・。
   住み慣れた田園風景が離れない。この事故で住民の多くが避難せざるを
   得なくなった。生活が変わり、寂しさを感じ、やり切れなく自分の気持ちを
   誰に、どこにぶつければいいのか、考えるのは私のみだろうか。

   2年が過ぎ、生活が落ち着いてきて逆に気持ちのやり場がなくなってきている。
   前向きに好きなことをしてと考え実行しているが。このような状態でいつまで
   いなければならないのか。また30年が頭をよぎる。でも踏み出せない。
   登りつくのはあの世だろうか。
   これほど恐ろしい放射能、今後私たちのような避難民を出さず、
   以前と同じ暮らしができるようにしてほしい。
   そしてがれきの撤去や除染などを望むとともに、作業に携わる多くの人たちに感謝する。


  60歳の女性から

   突風の日、放射能を全部吹き飛ばしてとお願いしたが関係なかった。
   どんな風ならなくせるの。
   2年たち、避難している方々、何か変わりましたか。
   幸せという気持ち 一つでもつかめましたか。

   一日一日はちゃんと過ぎていきます。
   胸の奥で何とか抑えているのが精一杯です。 
   自分たちがこれまで築いてきたものはゼロですか。
   泣いて戻れるならいっぱい泣きます。泣くのまで我慢しています。
   どうにもならないのを知っているから、笑顔でごまかすほかすべがありません。
   若い人たちは何とか生きる力も湧いてくるけれど
   年配の人たちはどう頑張ってみても・・・。
   世の中って不公平なのかな、本当に戻りたいです。



避難者の辛い生活は続き、事故現場では、ネズミのために全電源が落ちたり
あちこちで高濃度の汚染水が漏れたり。

かたや、電力会社は原発が停止しているからとこれ見よがしに値上げをし
政府は安全なら再稼働をと言う。

溜息が出るばかりです。
スポンサーサイト

雪の回廊 | トップページへ戻る | 春爛漫

このページのトップに戻る

コメント

癒されることの無い傷口

 80歳の女性の投稿の結び『そしてがれきの撤去や除染などを望むとともに、作業に携わる多くの人たちに感謝する。』感謝の言葉は、本来日本人が持っている精神性の高さを示す言葉と印象に残りました。
拙ブログも昨日『禍を少しでも福に』を載せています。ご披見下さい

http://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/201304130000/

コメントの編集

このページのトップに戻る

名前
題名
メールアドレス
WEBサイト
 
コメント
パスワード
  管理者にだけ表示を許可する

このページのトップに戻る

トラックバック

このページのトップに戻る