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2012年12月20日 伊達政宗 と 福島

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「独眼竜 伊達政宗」 といえば ”仙台” だと思っている方が多いと思いますが
実は、この ”福島” ともかなり縁が深いのです。


そもそも  伊達家 は、平安時代の終わり、鎌倉幕府と奥州藤原氏との戦いで
軍功をあげた 「常陸の入道 念西(ねんざい)」 という人が、福島の 伊達郡 を
拝領し、 伊達氏 と名乗ったことに始まります。
言わば ”福島” は 伊達家発祥の地 なのです。

その後、伊達氏 は福島地方で領土を拡大していきます。


福島の名刹として知られる 『陽林寺』 は、「政宗」 の曾祖父にあたる
「稙宗(たねむね)」 を開基として創建された曹洞宗の寺院です。
当時は、伊達家の手厚い保護を受け、47ヵ寺の末寺をもつほどの
勢いがあったとか。
「稙宗」 はこの寺に葬られています。    
                        CIMG8225.jpg
                                            <陽林寺の山門>                    

また、福島市の西部にあった 『大森城』 には、 「政宗」 の大伯父(祖父の弟)
である 「実元(さねもと)」 とその息子 「成実(しげざね)」 が城主として
住んでいました。
「政宗」 は、「成実」 が城主の時代、『大森城』 を拠点に戦いを繰り広げ
福島地方のほとんどを領地にしました。
ところがそれも束の間、秀吉に全所領を没収されて
宮城県の北部に追いやられてしまいます。

時は移り、家康の時代になって 「政宗」 は 仙台 に城を築くことになります。
仙台藩 の始まりです。

実は、この 仙台城 が 『青葉城』 と名付けられたいわれも、この ”福島” にあります。
福島市の市街地に鎮座している 信夫山。
「政宗」 は、戦で信夫山の山伏勢の活躍に助けられた強い縁にちなみ
信夫山の別名だった 『青葉山』 の名をとり 『青葉城』 としたそうです。



このような 「政宗」 と ”福島” の関係は、案外知られていないのではないかと思います。
私も、家の近くにある 大森城址 の歴史を学んで初めて知ったのでした。

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